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2016年 04月 04日
SAREXメンバー4社(あすなろ建築工房、富士ソーラー、山田建設、吉田工務店)で構成される名匠家活動の一環として、4月3日は、創建舎大工8名との大工交流会。
楽しめつつも実践につながる交流会にしようということで、削ろう会的な技能交流となった。 創建舎の大工たちは揃いのユニフォームに身を包み、迫力あるメジャー集団という感じ。 一方、名匠家の大工たちも、鉋屑を薄く数ミクロンにする、ということに戸惑いを感じつつ、入念に研ぎをおこなってきたようであった。 私は、削ろう会的なものは、マニアの世界と思っていた。現代の大工の現場でこの数ミクロンの鉋屑を競うことに何程の意味があるのか、判断できずにいた。 しかし、それが腑に落ちた一日となった。 今回の大工交流会の内容を考えていた時、創建舎大工上井戸さんから、どうせなら実践的な交流をしたいという話があり、このような削ろう会的なものとなったが、彼らもよくそのことは分かっていて、しかし、それでも、こうした修練を積むことで、通常の現場での鉋使いも変わってくるのだ、ということであった。 ![]() ▲入念に研ぐ そして、削り台が4台用意され、それぞれの大工たちが、フィールドでキャッチボールを開始するかのように、削り木に鉋をかけ、刃の調整をはじめたりしていく。 そして、スタートという合図もなく、鉋屑が生まれてくる。 薄さのスコアーボードも用意される。 名匠家大工たちも、上井戸さんたちのコーチを受けて、あっ、そういことかという感じで、研ぎ、鉋かけをおこなっていく。そして徐々に力の入れ具合、刃の微調整等を行うことに熱中していくのが分かる。 用意された計測計で、15ミクロンとか.12ミクロンとかを計測して、大体の感じを共有して、それぞれの鉋掛け本番といった感じ。 削ろう会では3ミクロン以下の勝負と聞いて、名匠家大工たちは唖然。 スコアボードに12~15といった感じで書き込まれていくが、誰が審査するでもなく、計測をしてもらい再トライという感じ。一応3回のチャレンジということとなっているが、そんなことは無関係に皆集中。 競技会的にならないところがとてもいい。それではチーム戦になって、なかなか相互交流にはなりにくい。 それぞれの研ぎや、砥石や鉋台についての話に耽っている。 それは見ていてもいいものであった。 何度も削っていると、刃こぼれするので、研ぎに入る。するとその砥石を巡っての質疑応答的な会話がはじまる。 大田区という立地故に作業場を持たない創建舎の大工たちが、この削ろう会競技にのめり込んできているのが、面白い。 名匠家の4社は何れも下小屋がある。 中でも今回会場となった山田建設の作業場は、創建舎の大工たちから見れば垂涎の的であったろう。 最終的に本日の鉋屑の最薄記録5ミクロン。この鉋屑はきれいに木幅、長さ通りに薄絹のような触り心地。官能的ともいえるものであった。 これは、のめり込んじゃうな。 やはり、大工としてのアイデンティティを求める行為の一つと考えられるが(削ろう会は必ずしも大工とは限らない)、手道具に対する愛着、探求という大工としての姿勢は、顧客にもその真摯な姿が、見えていくだろうな、と感じた。 ![]() 12時30分過ぎにはじめ、気付けば、シェフ大沢を筆頭としたバーベキュー部隊も準備完了の16時。 では、さらなる交流へ。ということでバーベキュー。が、その前に大工たちは合同で作業場の清掃。手際がとてもいい。 かくして、大工たちはそれぞれの場所に立って、歓談の輪を作っていた。 何とか、彼らの待遇を改善したいんですよね、と呟いたYの言葉が耳に残った。 来年もやろうということで決定。花は満開なれど寒かった。 ▲
by KNOBEX
| 2016-04-04 16:16
| 工務店の時代
2014年 06月 30日
中野栄吉著『自省先照~自らを省みて継続の道を照らさん』について書いておきたい。
SAREX初代代表理事の中野栄吉さんが、中野工務店を立ち上げて6月で55周年迎えた。 中野さんは、工務店業界にあって、空前にして絶後というべき人である。 絶えず、工務店が被り続ける大波小波の波頭に身を晒すような形で、戦後の住宅業界史が概観的に語られる事柄の殆ど全てを身をもって体験してきている。 ![]() その中野さんに今から10年以上前だったか、戦後大工道具の変遷について4回にわたって公開レクチャーをしていただいたことがある。このレクチャーはそれこそ白熱と呼ぶにふさわしい内容であった。 この知見の高さからくる工務店という業態論をきちんと残して欲しいと思った。中野さんは文の立つ人であったから原稿をお願いし、SAREXの冊子『考える工務店』やホームページ用に『往技来住』そして、『自省先照』二つの連載(タイトルは私の造語)を書いていただいた。 工務店にとって、これほど示唆に富んだ文章は読んだことがなく、心ある工務店の多くが『往技来住』『自省先照』に舌を巻くとともに、工務店としての立ち位置を中野さんの文章を通じて確認していった。 今年の春になって、中野さんが照れくさいような顔をして、中野工務店55周年になるのだけど、記念誌なんか作っても誰も読んではくれないだろう。ならば、以前書いた原稿をまとめる形で書籍にできないか、という相談を受けた。 記念行事も小規模なものとして、昼飯を食べるといった感覚の会にしたい、と。その時に書籍として参集された方々に読んでもらえるものを作りたいというお話だった。 しまった、と思った。もう少し時間があれば、きちんとした書籍流通ルートに乗せることができたのに、と思いつつも中野さんから手渡された原稿を整理し、これを何度も読んだ。何度読んでも、その内容は端倪すべからざる戦後工務店史であり、工務店経営論であり、ものづくり論となっている。 ![]() 本書『自省先照-来し方を省みて継続の道をてらさん』は、1章を中野栄吉と中野工務店の歴史を中心に構成し、焦土と化した敗戦直後の焼け跡に立った13歳の少年が大工になる。家づくりの戦後の動きはじめる時と中野栄吉の人生がぴたりと重なっているのだ。 中野栄吉の歴史は工務店の歴史を見るに等しく、ここに住宅業界の先端的な動きに中野さんがどのように切り結んでいったのかがまとめられている。 高度成長、バブル崩壊、リーマンショックそして現在。なぜ、多くの工務店は姿を消したのか。この激動の中で何度も軌道修正を続け、継続する道を模索する中野栄吉の行動こそが、工務店経営の本願とも言うべき倫理をしめしている。 第2章は「工務店の本分」と題し、『往技来住』からのセレクション原稿で構成した。 中野さんの原稿は、手を入れる必要性を感じることが殆どない、実に活き活きとしたもので、今年書かれたのかと思うほど先見性に富んでいる。 工務店というものの実態と経営的な原点をきちんと見据えながら、息子たち(これは、中野工務店の息子たちだけではなく、工務店業界の「息子たち」をも含意している)への直言であり、持続するための踏みとどまるべき工務店の本分をきちっと提示した本である。必読です。 そして、昨日その記念の会「午餐会」と名付けられたささやかな式典が催された。6月19日の55周年の日に新体制が新たに発足し、そのお披露目の会でもあった。 実にユニークな息子たち(番匠塾出身の大工たちも含め)に囲まれた中野さんは、まさに晩年運の花開く人となっていた。 わたし的には、40年間中野工務店で番頭(という呼称がもっともふさわしい)をされていた成瀬さんに再会できたことも嬉しかった。私の工務店の番頭論のモデルとも言うべき人だからである。 なお、SAREXメンバーには送付します。 ▲
by knobex
| 2014-06-30 14:27
| 工務店の時代
2013年 08月 21日
現場監督鍛錬塾OB橘泰一が国元に戻って、工務店を立ち上げた。社名もフラグシップとそれらしい、覇気に満ちた社名になっている。
富山に帰って紆余曲折はあったものの、結果として満を持しての船出となった、と思う。工務店選抜最終予選がこれから始まる。 橘は、本戦に進むべくどのような手を打っていくのか、楽しみだ。 ガンバレよタイ。 ▲
by knobex
| 2013-08-21 17:27
| 工務店の時代
2012年 06月 08日
名匠家は、本会議と実務者会議の二本立て。
今週水曜日に開催された本会議では、本会議と実務者会議の作業分担を明確にした。 実務者会議は本会議の前日行われており、こちらは監督を中心として品質チェックシートの項目変更とその統一化の作業が行われている。 さらに施工報告書の記載内容の統一など、小規模ネットワークの根幹を形成する品質水準の統一化のコア的作業が進行中。だが詳細な見積り検証の続き作業も残っており、とても時間が、という話が本会議で出るが、山ちゃんは平然と月2回作業すればいいだけじゃない、と。 さて、本会議も月1ペースで開催している。今回は、マナールールブックの最終内容チェック。完成を7月上旬に設定。既に山田建設では協力業者に対してのマナールールブックの説明会の日時も設定し、とにかく早め早めの徹底を急いでいる。 これも、やはり需要というものの空気の変化を読み取り、工務店としての基礎体力の向上を早めに高めておこうという危機意識の表出だろう。 翌日は名古屋へ。4月の名工家の総会の時に方向性に対するブレを感じたので、その部分についての微調整確認をする必要を感じたからだ。 夏めいた気候になった時の名古屋は要注意。とにかくどこへいってもメチャ寒い。エアコンの温度設定が異常に引くのではないか。だから、春先といった服装準備をしておかないと寒く震えることになる。しかし、名古屋人は半袖で平然としている。本当に驚きです。 さて名工家は、基本的に各社現場監督を中心とした定例会が隔月毎に。その間にいろいろなイベント活動を行ってきている。 本日は、TOTOの会議室を借りているためなのか、新製品の説明と見学を終えて、地下セミナールームから14階の会議室へ。このショールームは何度も通ったが、上階に足を運んだのは初めて。 まず、監督会議。ここでは、同一型番の部品類における従前のかけ率と名工家として交渉したかけ率変動結果の発表があった。しかし、TOTO会議室でこのような議題が出ているとは思わず苦笑。 ![]() ▲かけ率調査を読み解いていく。 この作業に遅滞のあったメンバーの現場監督に対してK藤村君から強烈な叱咤が。場内シーンとする。なかなかいい。いいたいことが言えなければ駄目だからだ。ネットワーク化とは何か、何のためかという初源に絶えず立ち戻ることは大切だ。清水さんの突っ込み的質問もナイスなフォロー。 さて、かけ率調査結果だが、部分だけ、かけ率だけみても全体への寄与が明確にならないのではないか、と疑問を。ということで原価見積りを行うなかで名工家かけ率がどの程度寄与するのかの検証をしてもらうことに。 次いで代表者会議ということで、ここには協力業者代表も3名出席し、安全パトロールへの参加等の議事が進んでいく。さらに黒テルからノベがうるさく、名工家の基本たる下部構造の充実をというので、今年は名工家の名前浸透よりも当初の狙いに重きを置く、という話もあり、職人勉強会でマナーコミュニケーションのワークショップと木造住宅を根幹とする工務店の原点を知ってもらうを目的として根羽村で伐採ツアーを協力業者とその家族だけで開催し、情報交流をしてもらう、とのこと。 ![]() ▲協力業者代表も含めた代表者会議 各社からこれまで無事故に近かったのにそれぞれ現場での事故報告が。基本的な要因は高齢化によるが、これまで無事に年を重ねてきた分、自分に対する特別感がKYを妨げる。労災加入有無チェックも曖昧な部分もあり、これからの季節は要用心。 その会議は続けながら、役員会も。途中抜け出して、黒テル、ガッチャン、無添加の3名(貴雄は東京で修羅場見学?)と一般社団化の定款確認や名工家の基本的な狙いの再確認などを行う。 名工家には藤澤、戸松。名匠家には飯沼、崇広、菊地と「現場監督鍛錬塾」生OBが実務を担っているのがうれしい。 成長過程も観察できて、私には充実の2日間であった。 SAREX専務理事(㈱オプコード研究所所長) 野辺 公一 ▲
by KNOBEX
| 2012-06-08 15:17
| 工務店の時代
2012年 03月 02日
第Ⅷ期の大工塾は、震災の影響もあり、1年2カ月に及んだという。私は例によって、その最終回講師。
大工塾とは、言わずと知れた丹呉明恭と山辺豊彦がタッグを組んで、木造軸組架構の構造的な成り立ちと大工技術を中心に、地域の材に拘った循環性のある生産の仕組みづくりと仕組みを形にすることで可能となる大工の高い価値性を創出していくために大工たちが学ぶ場である。 私はこの塾の最終講義を毎回受け持たされているが、タイトルは決まっていて「大工生き残り論」なのだが、その中身はもちろん毎年変わる。毎回、同行をお願いしついでに話もしてもらったりしている。 大工塾カリキュラムの中では浮いた講座ということもできる。 2週間ぐらい前に丹呉さんからメールがあり、内容をと求められた。と言われても例によって何も考えていない。その場で塾生の面を拝まないとしゃべる事柄が定まらないのが本当のところ。 ということで、なんだかどよーんとした土曜日の曇り空の下、鶴ヶ島まで出かけた。それにしても乗りでがある。少し早めに着いて準備でもしようと16時過ぎに到着。東洋大学まで歩く。校舎には箱根駅伝勝利の垂れ幕が。ここは陸上部の練習場でもあるようだ。 何だかとても久しぶりの感じ。寒いのでとにかく校舎へ。 教室にいくと山辺事務所のスタッフなどが準備を行っていた。早速最新機材の扱い方を教えてもらう。まるでCSIのコンピュータシステム。指タッチでOK。パソコンもCSIと同じDELLだった。面白くてついPPTをいじる。 ![]() ▲何だかタッチしたくなる感じなんだなこれが 17時近くになると山辺さんが。そしてごく最近ご不幸のあった丹呉さんも姿を現した。いやはや驚いた。やはり最終講座ということでの責任感か。 塾生もぽつりぽつりと集まってくる。 北海道から2名の大工も。しかし、これは社長が毎回旅費を負担してくれているとのこと。だんだん大工塾も様相が変化してきたな。しかも、設計事務所の参加が増えた感じ。 なぜかアルセッドの所員までいるのには驚いた。 17時過ぎから話はじめて、20時前に終えて質問を受ける。気付くと宮内君らOBの顔を久しぶりに見る。元気そうでなによりだ。本当は彼らと丁々発止やり合うのが密かな楽しみであったが、今回は時間なし。 誘っていた鍛錬塾OBで現在は現場監督統括責任者となっているタイと山辺さんとで鶴ヶ島のホテルに向かい、チェックイン。 ![]() ▲山辺さんと飲む「とんでん」というところが泣けます。 駅裏は閑散としていて飲み屋もないような。と思い出しました。ここではファミレスのとんでんで飲んでいたことを。山辺さんとタイとの3人で飲む。丹呉さんは流石にいろいろあり帰宅した。山辺さんと情報交換。熱燗を気付くとかなり飲んだ。 驚いたことに山辺さんは能登近くの出身、タイは富山の砺波と北陸勢が揃った。北陸ローカルな話でも盛り上がり、タイのビジョンなどを聞く。 11時過ぎに部屋に。流石にバタンとベッドへ。気付くと朝。 ![]() ▲「ルームサービス」というだけで心踊りますが・・泣ける そして8時。ノックがあり「朝食をお持ちしました」と。ルームサービスですよ。ルームサービスって凄い感じだけど、部屋でしか食べる場所がない、という意味でもあり、何のことはない給食弁当。が、ここはルームサービスと思うことに。 日曜日8時30分にホテルを出て、再び東洋大学へ。午前中は滑り出しが悪い。しかも昨日飲みすぎて眠い。ということでタイに大工たちは、そして設計者も殆ど知らない現場監督の仕事の詳細について話をしてもらう。「えっ、本当すか。俺に振るわけですか」と無茶振りとタイは言うのであるが、事前に前回の鍛錬塾で話をしたUSBメモリーを持参して、といっておいたのだしね。とにたにた。 「ノベさんそういうのやるんだよな。得意技。みんな見学にといってしゃべらせちゃうんだよな」と丹呉さんまで何ということを。 ということで10時30分過ぎまでタイ語り。こんだけの管理を大工だけでやれますか、という時代にあることを考えざるを得ない状況を語った。 ![]() ▲監督は朝が強い その後私が12時まで。そして13時から14時までしゃべる。しかし、眠い。話をしていも眠くなる。山辺さんもいや俺もたまに講演していて眠っている感じあるよ、と。 何だか今回は安全大会のような話が中心となってしまった。しかし、労災未加入大工などもいて、そのリスクを知ってもらうにはよい機会だったかも知れない。もっともOBたちに聞いてもらいたい事柄ではあったのだが。 これにて今期の大工塾は終了とのこと。ドン曇りのまるで北陸のような空の下を駅まで歩く。東武線の新しい2人掛け横列シート型とでもいうのか、そんな電車に乗って戻る。 山辺さんに鍛錬塾のお願いをし池袋で別れて、タイと渋谷まで。気付くと夕方に。 結局眠気を引きずったままで一日が終わった。 SAREX専務理事(㈱オプコード研究所所長) 野辺 公一 ▲
by KNOBEX
| 2012-03-02 10:19
| 工務店の時代
2011年 12月 20日
昨日は「名匠家」パートーナー工務店5社の合同安全パトロールに同行した。
相互に現場の管理品質の水準を見せ合うのは、その水準をさらに高めるために必須な行為。高めの水準で現場品質を整えていくのがプロダクト部分のプラットホームを作り出す上でのキーとなる。 今回が初めての相互現場パトロールなので、あまり厳しい突っ込みはなかったが、今後実務者級会議で品質チェックシートの活用、マナールール等を含めて、高みを目指す模索がなされることとなる。 ![]() ▲番外だが木造軸組で施工されている互光商会の新社屋現場でまずチェック 話は外れるが、私の通勤路で2戸1の建て売り物件が施工されているが、これが狭小地かつ狭小道路沿いの現場。現場管理力ゼロで、廃材は外にざっくりと転ばしてあるし、外回りの業者仕事でヘルメットを被っている職人はゼロ。 道路清掃どころか、道路に車の鼻先を突き出して駐車していて、狭い道で一般車がひやひやもので通過している。 飲み終えたドリンク缶は道路と敷地の狭間周辺に転がっている。 そして、何よりも業者たちが集まって打ち合わせをしたり、職人たちが道路脇に座って和やかな談笑をしたりしている時、必ず喫煙している。ワゴン車のハッチバックドアを空けたままくわえタバコをやられると道に煙が拡散しないことも初めて知った。 そして、夜。その現場をしげしげと見る。こりゃ一体いくらで請負をしているのだろうか、と思う。タバコの吸殻などが点々としている。 愛無き現場、という言葉をほぼ毎日観察しながら思う。職人さんたちの目つきがキツイのだ。極めて威嚇的であるのがこの手の現場の特徴。 さて、今回「名匠家」の連中の現場はどうであったか。監督、大工衆、他を含めて顧客満足度の意識や安全管理、いいもの作るぜ品質管理、感心しきりのご近所さん、といった形になっていたか、その辺りが私のチェックポイント。 まず、パトロール対象になっていない、施主がテキーラスズキで設計施工が貴族院という現場を見せてもらう。この現場は、メンバーでもある互光商会の新社屋。 軸組木造での工事が進んでいる。工務店が非住宅分野での木造建築を担うことの重要性を感じて3年になりそれなりのモチーフを暖めてきているが、このテキーラスズキの事務所の完成は楽しみだ。 ![]() ▲テキーラズズキの目が光っているためか、それともシンケンから学んだかといった貴族院の現場 シンケンの現場に刺激を受けたという貴族院が早速現場に時計(1日の作業の切れ目時間を伝える)が設置されていたが、これに入退出時間の書き込みシートが欲しい。飯沼君は早速作成準備するように。 ![]() ▲現場での意見交換も活発に と現場を後にしていよいよパトロール開始。まず港南台のあすなろ建築工房の現場。そして環状2号を北上して鶴ヶ峰方面へ。山田建設の現場。さらに北上しつつ鴨井へ。おっとこの道は、と昨日の日曜日にも走った道であった。吉田工務店の現場。 各メンバーとも社長と実務者級が揃いジョークを飛ばしつつ、しかし厳しいチェックが。 ![]() ▲山ちゃんの現場も大工たちの機敏性を感じる うーん、これはないな、というものも散見されたが、画像に納めてあるので今後の会議の時やルールブックに使おう。 何れも現場が愛されているということは感じられた。これならばもっと高い水準の現場づくりができると感じた。 ![]() ▲オレッスカヨシダも自社物件では緊張気味か? さらに北上して、富士ソーラーのリフォーム現場を訪れる予定であったが、私は別な委員会があり、鴨井駅で離脱。後はセイさんとチャメが見届けて明日報告を受ける、という形でパトロールを終えた。 こうした現場という具体を通してそれぞれの参加工務店が内々だが開いていく、ということはとても大切なことだ。とりわけ小規模ネットワークの意味はそこにあり、プロダクトの部分を開くだけ開けていけば、共有化しうる成果は大きい。 次なる課題は、現場と施工計画の対称性チェックと品質チェックの仕組みづくりの名匠家の基準を明確にすること、それをどう具体化させていくか、などを考えつつ都心へと向った。 SAREX専務理事(㈱オプコード研究所所長) 野辺 公一 ▲
by KNOBEX
| 2011-12-20 13:28
| 工務店の時代
2011年 11月 08日
「名工家」合宿に続いて、同様の生産システムのプラットホームづくりを目指す新たな地域ネットワーク「名匠家」(横浜を中心としたSAREXメンバー工務店5社)も順調な打合せを重ね、見積りデータの相互チェックという基礎的データ作成のところに来た。 要するに共通マスターの作成のようなものです。
こうしたデータチェックはもはや実務者レベルの作業なので、今月下旬に開催される会議に間に合うように、見積りデータ(原価)の項目の統一化等を検討する会議が、金曜日に開かれた。 私は当初は参加する予定ではなかったが、テキーラスズキの事務所で開催とのことで、一度事務所まで行ってみるか、と足を運んだ。 上大岡から徒歩15分とあるが、地図を読み違えたりでなかなか駅前を離れられない。あれ、上大岡は知ってるんだけどな、と思うものの、完全に間逆の読み違い。歩く気満々の同行セイさんに、それは無理でしょと。タクシー。 この辺たりとワンメーターの場所で降りるが、あれれ。分からない。と崇広が近辺のビル前で携帯をしていたので、あああの辺か、と分かる。 テキーラスズキのオフィスは男子だけと思っていたら、ちゃんと女性もいらっしゃるではないか。いつも、びしっと黒のスーツでキメテいるわけではないのね(当たり前だけど)。 いやいや当たり前だが、全くフツーのオフィスだった。本当だったら怖いし、でもちょっと何かあるかな、なんて思っていたので(嘘です)。ちょっとがっかり。貴族院が大ぼらを吹くので。 現在、木造で本社屋を建設中。これが出来上がると、どんな感じになるのか。 ![]() ▲実務者者級会議 さて、実務者級会議ということで、サブスタッフ全員揃ったところで、こちらの意図を伝える。既に4月初めには5社合同職人大会の日程も決まっており、そこに間に合わせる必要がある。 とういことで、アザミノ(メタボじゃなくなりましたというので)君が、リードする形でまずは各社の見積り書の内容をチェック。どこまで詳細な記載としているのか、という部分。細かすぎると、まとまり毎発注での価格ネゴがなかなかできない。かといってまとまりがアバウトすぎると、施主の不信を買うことになる。 施主に説明しやすい見積書、といった議論を行いつつ、設計モデルに従って再度の項目等の調整が行われた。意外とスムースに確認とチェックが進み、19:30には終了していた。 名匠家グループは当然この後が本番の会議、なのだが、残念ながら咳き込む私は懇親会はパスして、ゆったりと帰宅。誰かに伝染でもしたらやばい、と理性がはたらいたのだった。 SAREX専務理事(㈱オプコード研究所所長) 野辺 公一 ▲
by KNOBEX
| 2011-11-08 15:19
| 工務店の時代
2011年 01月 19日
驚いた。昨日の寒気も少しゆるむ、ということであったが、新幹線に飛び乗ると新大阪まで90分遅れとか。浜松を通過したあたりからうっすらと雪化粧。到着の約束の刻限にはどうあがいても間に合わない。打ち合わせ、というか何を求められているのかも不明のままきっとパネルディスカッションに臨むことになる。
![]() ▲浜松過ぎて いあやはや。ま、事前打ち合わせは結構そこでネタだしして、ほんちゃんではさっきしゃべったな、と思ったりしてしまうから、打ち合わせなしの方が新鮮かも、などと居直る他に手だてがない。 しかし、新横浜を8時29分発、新神戸着10時59分着の新幹線が、名古屋着が10時30分。名古屋駅が大雪に包まれている風景を私は、はじめて見た。 ![]() ▲名古屋駅でびっくり もう、11時。未だ京都着すら時間不明。本当なら今頃新神戸でタクシーに乗っているはずなのに。貴雄ちゃんから電話。最初は藤澤先生、ロック魂もまだ到着していない、という報告であったが、結局私だけが未着とのこと。 新大阪に12時過ぎに到着。昼飯を食べておかなくてはと、途中で思ったのだが案の定車内販売の弁当は売り切れ。空きっ腹を抱えて会場に行くのか、と思うとげんなり。それにしても、京都を過ぎたあたりから見事なまでに雪は無し。 やっと新神戸に到着して、タクシーで国際会議場へ。取り敢えず慌ただしく用意された弁当をいただき、阪神・淡路大震災の祈念日に「木の家耐震改修」に関する「大勉強会」イベントに参加。私は第4分科会の二コマ目ということだけ分かっていて、後は殆ど不明状態。 ![]() ▲「大勉強会」の第4分科会で藤澤先生がコーディネーターで午後の部がスタート 13時には藤澤先生がコーディネーターとなり、青木さんらがパネラーとなるディスカッションが始まったので慌てて会場へ。この会場だけでも凄い人数。やはり青木さんの発言がスタンスとポリシーが明快で説得力があったな。 14時過ぎに私たちの番だが、本当に何やるんだろうか、と。事前にロック魂からメールはもらっていたが、隣席の方のお名前も分からぬままパネラーとして壇上へ。ロック魂がコーディネーターで「中古住宅流通」を中心とした議論。さすがの小池さんも天候不順だし、目茶苦茶人数はいるしで気疲れしている感じであった。 阪神・淡路大震災後の調査で何を感じたのかはこのブログでも書いているので触れないが、この年の震災と地下鉄サリン事件によって心像風景が激変したことは確かだ。 フッ、と気付くと何とジェームズが一番前の席に。げっ、いつの間に。なぜに? と思いつつ、さすがジェームズ、やるなという感じ。あっと言う間に一時間。これでお役目終了。 壇上から降りて、会場に目をやると、小玉 祐一郎さんが。久しぶりというか、すっかりご無沙汰という感じ。この後のディスカッションのパネラーでいらしていた。 会場を出ると青木さんがいたので立ち話を。そのまま他の会場も覗く。久しぶりにあった永野義紀さんを探すも見つからず。竹中君ともじっくり話をしたかったが、それもできず。気付くと16時30分でフィナーレが始まる時間。 夕方三宮で藤澤先生、青木さんを囲んでの飲み会があるとか。先生に「身の潔白が証明されたのでお先に」と話をして、貴雄ちゃんと大阪を目指す。なんと、「静岡木造塾」のチャリンコおじさんも参加されており、大阪飲み会に誘う。 実はこの日は秋のヨーロッパ発作的ツアーグループの同窓会の約束を以前からしていたのであった。幸い神戸、大阪間は積雪がなく、ま渋滞はあったものの18時にはホテルに到着。そのままタクシーで中津の串樽という店へ。場所がよく分からぬまま歩くと寒いのなんの。串樽に入ると既にジェンキンスが到着していて、一人で生を。予約主のそば屋がまだ到着しないまままずは生で乾杯。しばし遅れてそば屋到着。お土産に「陀羅尼助丸」なる胃腸薬をいただく。これけっこう効くんですね。 テンポ早く飲み続け、ヨーロッパでノベは脱落するんだな。きっとあいつの人生これまでだな、とそば屋、貴雄ちゃん、ジェンキンスで話し合って、ノベ抜き旅を考えようとしていたのに、本当に復活するなんて信じられない、とジェンキンス。全く人の復活を素直に喜べない同世代人なのだった。 チャリンコおじさんは本日中に静岡に帰らなくてはと慌ただしく帰って行った。その後我々も二次会いくぞ、と言ったものの中津ではいかんともしがたく、寒いので解散に。そば屋に同じホテルに泊まる貴雄ちゃんと二人を送ってもらい、ホテル隣のバーで二人で「名工家」の進捗や名古屋市場の状況。そして工務店とリフォームなどについて話し合う。 22時前にはお開きにして、部屋で少々お仕事。明日はどうか寒気緩みますようにと祈る。 翌朝、セイさんらと合流して岡山へ。岡山駅からレンタカーで岡山道へ。なんやかんやの手続きや新幹線の若干の遅れ等で岡山駅を12時30分過ぎに出発。駅近くではなく途中で昼飯をということにして高速に。吉備のSAではさすがに、と思っていたらその後岡山道に入るとSAはなかった。この間、荒れた山の風景が続く吉備高原を走り抜ける。雪は全くない。よしよしと思っていると吉備高原を下ると白いものが。 ![]() ▲高速降りるとこんな感じ ![]() ▲讃岐? と思わせたセルフうどん屋+喫茶店 高速を下りたところになんとも形容しがたい喫茶店兼うどん屋というのがあったのでそこに突入。セルフのうどん屋ってここは讃岐か、という感じ。天麩羅2種類を乗せて食す。 ![]() ▲製材所の土場は寒かった その後、美作の木というブランドづくりなどで頑張っている真庭の製材、プレカット工場を訪ねて、乾燥材の生産問題やプレカット工場のリスクなどについての話を聞く。 最後に工場や製材を見学していると心底冷える。 17時に終えて真庭を出発。昨日だったらとてもここまで辿り着けなかっただろうな、と思いつつ吉備高原の頭上高くくっきりとした月を見つつ岡山駅を目指す。 ![]() ▲これしかないのか桃印のお祭り弁当 やれやれと岡山駅で駅弁を調達するも次々と売り切れに。慌てて祭り寿司弁当というのを。 すると奇怪な岡山名物桃の形の入れ物が。 何とか22時新横浜に到着。そして帰宅。 SAREX専務理事(㈱オプコード研究所所長) 野辺 公一 ▲
by knobex
| 2011-01-19 17:21
| 工務店の時代
2010年 07月 29日
どうも小山祐司から電話がかかってくると、やばめの話が多い。これに鰻や焼き鳥という人参をぶら下げてきた時がもっとも危ない。
しかし、この人の浦和という小都市を基盤として長年工務店をやってきた力量は、人たらしにも現れ、私は小山祐司からのお誘いに逆らうことができない。 小山さんは現在「さいたま県産木材住宅促進センター」の理事長をしている。ということで以下さいたまの木ドンと呼ぶが、この協会の活動も長い。私も何度か、ここの会合に呼ばれたことがあるが、その度に名称を噛んでしまう。 ということで、今回はボランティアチックな「業者」として呼ばれた。 打ち合わせの時間が浦和16時30分といえば、これはもう決まっている。会議室に入っていくと、多忙でもやはり木ドンにはシンパシーを感じているジェームズが着座していて驚いた。 本日の会議は、美容整形に失敗し、やればやるほど崩れてしまう、という感じのホームページの再構築がテーマ。 そも「さいたま県産木材住宅促進センター」とは何か、ということが明瞭に伝わる構成にする必要があり、またホームページ内に構成メンバーの情報発信量競争を促す必要性を感じたので、そうした提言を行った。 こうして、川上から川中、川下のメンバーたちのブログを中心としたホームページにリニューアルすることが決まり、そのコンテンツも決定した。 捌く力量に優れる木ドンは、あっと言う間にスケジュールまで決めて、効率よく会議を終えた。 この日のために木ドンから「鰻」をという提案があったが、久しぶりに浦和で飲むなら是非、北浦和駅の焼鳥屋に行きたい、とリクエストをしていた。 ここの焼き鳥というか、不思議なメニューが抜群にうまい。木ドンの運転で移動。 部屋も予約してあり、斜度70ぐらいの階段を登って座敷に座る。ジェームズはこの後地元での会合があるので、適当に飲みます、とのこと。 ![]() ▲牛タンの薄造り。さすがジェームズは知っていた まずは、牛タンの薄づくり。くーっうまい。さらにレバーステーキ。こいつは食べ方に工夫が必要と蘊蓄を木ドンが語り、芥子と和えていく。 ![]() ▲レバーステーキの食べ方指南を受ける この間にビールがグイグイいってしまう。木ドンとジェームズから現状がどうもメディアの言っていることと実感的に違っている。この誤差はこちらの感度不足なのか、といった議論も。 ![]() ▲軟骨の叩きバーグという感じ。うまいです ジェームズが去り、木ドン、ナオと3人に。私は既に限界値。それに埼玉県からの脱出のための乗り継ぎの多さを考えると腰が浮く。 結局20時過ぎには解散に。木ドンはさらに讃岐うどんをと誘ってくれたが、とてもとても満腹で無理。 酔い醒ましの為に北浦和駅前で喫茶店を探したがなし。歩きくたびれた感じだが、結局マックとモスがあるだけ。マックの喫煙ブースには入る気もなく、モスでクリーンに烏龍茶。 どうやら酔いが30%ぐらいになったので、北浦和駅に向かったのであった。 SAREX専務理事(㈱オプコード研究所所長) 野辺 公一 ▲
by knobex
| 2010-07-29 11:51
| 工務店の時代
2010年 04月 02日
ついに4月。桜は満開。しかし、強風で花見気分とはいかない。
この切れ目の新年度を前に一人の名物男が、我々の前から去った。住宅保証機構の矢野孝昭さんである。先月26日に「誕生会」と銘打って行われた「さよならパーティ」は、大勢の人々で会場があふれていた。 ![]() ▲会場を回る矢野さん 矢野さんについて、いまさらその来歴を述べる必要もないのだろうが,37年間住宅保証制度の立ち上げから、義務化までを見届けた形となった。 必ずしも彼の本意とは異なる部分もあるだろうが、そこは名うての業師であるから、おくびにも出すまい。 私とは、15年以上前からのお付き合いで、よく檄を飛ばされたものだ。どうして知っているの? といった地獄耳ぶりにも何度も驚いた。 何より、工務店に対しての肩入れはひとかたならず。SAREXの活動にも大いに理解を示され、工務店が工務店としてあるためには何が必要なんだ、といつも議論をふきかけられた。 手塩にかけた河村、手塚両氏の「あずさ2号」で幕が開き、矢野さんの挨拶が2度。そして藤澤先生の乾杯の挨拶。最後も二人の「あずさ2号」で「私は私はあなたから旅立ちます~」と涙して歌っていたのが印象的。 さらに産休に入る理香ちゃんが「天城越え」も印象的だったな。矢野さんも何か歌っていた(この頃は盛り上がっていて本人の声もガラガラで曲も分からず)。本当はカラオケボックスでのパーティを希望したらしいが、100人を優に超えるようなボックスはありませんでした、と河村さん。 ![]() ▲矢野さんと藤澤先生 何れにせよ、公益法人一筋の男が、工務店を意識し続けた男がある意味での節目を迎える時期に舞台から去った。 矢野さんへの一口メッセージカードに私は「逃げるのですかー」と記した。本当は「逃げ場があるのなら幸いなり」と書きたかったのだが。 終えて、外に出ると雨。藤澤先生と二人して濡れながら歩き、そば屋を見つけて即熱燗。なんだかぐいぐいと先生に飲まされる。先生の体調などをお聞きしていると、完全に酔いが廻ってきた。 それにしても、雨の多い春だな。 SAREX専務理事(㈱オプコード研究所所長) 野辺 公一 ▲
by KNOBEX
| 2010-04-02 11:56
| 工務店の時代
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