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2006年 10月 04日
『優しい子よ』に誘われて
大崎善生の小説はこまめに読んでいる。 しかし、ここ数冊はもうそこまでして付き合う必要はないのではないか?といった私にとっては不満足な作品が続いていた。最新の『優しい子よ』が不満だったらもういいや、と思っていた。 が、『優しい子よ』は、球に逆らわずにライト方向にきれいな弾道で打ち返したシングルヒット、といった味のある内容であった。 この『優しい子よ』(短編連作集の一つ)には大崎とテレビマンユニオンの総帥であった最晩年の萩元晴彦との交流が描かれているのだが、そこに出てくるのが飯田の三宜亭であった。 萩元といえば晩年はカザルス・ホールの総合プロデューサーでもあった。その萩元が出生地の飯田で「ホームタウンコンサートIN飯田」のプロデューサーを行っていた。 萩元はこのコンサートの準備の時には飯田では三宜亭に陣取った、といったことも書かれていた。そして、大崎は萩元の死後最晩年の足跡を確認するために三宜亭まで足を延ばす。 伊那森ネットワークを探求目的に 大蔵実から、飯田で講演会とシンポジウムをやるので、そのスピーカーとして飯田に来てくれないか、と誘われた。飯田と聞いた時、すぐに三宜亭が頭に浮かんだ。 そして大蔵実には三宜亭泊をリクエストした。萩元がどっかと座して、きっと惚けたりあるいは睨み付けていた風景をみるのも一興だな、と思ったからである。 もちろん、大蔵からの誘いは別な僥倖も私にもたらした。それは大蔵実が心血を注いでいるネットワーク「伊那谷の森で家をつくる会」(以下伊那森と略すの全容を知りうるチャンスでもあったからだ。また、大蔵が地元でどのような家づくりを行い、どのようなフィールドで工務店としての活動をしているのかを知りたい、と考えた。 SAREXのワークショップ初日(9月20日)にメンバーとともに「伊那森」の山側の拠点である根羽村を訪れた。根羽村は長野県の外れでとなりは愛知県。村営の物産店ネバーランドは、我々が訪れた日こそ閑散としていたが、土日になると愛知県から大勢の人たちが訪れるという。この地理的環境が、根羽の新たな戦略構築に大きく影響を与えた。 根羽杉の家を知ってもらうためにつくられた展示場の次の活用目的は「体験宿泊」。主に愛知のトヨタ系の企業及びその従業員に対する「放牧管理」的な仕組みを作り出そうとしているようであった。 根羽村の戦略については9月23日のシンポジウムでたっぷり聞くことができるはず、ということでワークショップでは慌ただしく説明を聞いたが、村の課長の説明が「相当にデキる人」という印象であった。 どこでもそうだが、特に山にかかわる場合、人と人とのパワーのn乗化がその源になる。そういう意味では伊那森ネットワークはn乗化がうまくいっているのではないか、と期待を抱かせた。 三宜亭にて 翌日のワークショップは松本で行われ、松本駅で皆と別れて、大蔵(飯田のハムレットと以下称す)の運転で飯田に向う。 ワークショップ後は結構疲れてしまい(いつも反省点があってそのストレスか)、ハムレットに「どこかで一服できる喫茶店を」とお願いした。 横浜のストイックスイマー(「今は泳いでいません」と言うが)柴さんも飯田に車を置いてきたということで、3人でお茶。といってもデニーズなのだが。 すっかりシフトレバーが入れ代わり、パワーがチャージされた感じとなって飯田を目指す。 この夜は、ハムレットは別な会合があるということで、一人で三宜亭に。5時には部屋に辿り着く。目の前に伊那山脈。さらにその奥に北アルプスを一望できる(しかし、建物の土手っ腹に「天空の城」と大きく書いてあるのはなんだか拍子抜け)。 なるほどな、とこの景色を萩元がなぜ好んだのか直ちに了解できた。折角の畳部屋に一人なので、ゆっくりと景色をみながら原稿でもと思いノートパソコンを立ち上げるが、気持ちは乗らない。こんな景色を前に馬鹿をやっているのではない、という気持ちになってしまった。 しかし、幸いパソコンの中にはJ.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ が入れ込んであったので、イヤホンで聞きながら飯田市街と伊那谷を闇の中で見続ける。 「お一人様分のお食事はご用意できません」と言われ、風呂近くにあるレストランでと言われたのだが、慌ただしくラーメンやカツ丼を食うぐらいなら外に行こう、と思った。 といっても地図を持っているわけではなく、適当に散策することとなる。ここは飯田城址で、平成7年に温泉が出たとかで、暗闇から町の人々が三々五々入浴に訪れる姿がぽつん、ぽつんと浮き出てくる。 15分程歩くと、どうやら駅近くにたどりついたようだ。しかし、既に殆どの店のシャッターが降りている。そば屋が一軒開いていたが「昼もそばだしなー」と考えてさらにぶらぶら。 すると、スーパーマーケットがあるので、灯につられて入店。ここで、適当なものを選んで、ビールまで購入して部屋に戻る。 テレビを見ながら、ゆったりとした夕餉となった。 気が付くと内閣が変わっていたようだ。 SAREX専務理事(㈱オプコード研究所所長) 野辺 公一
by KNOBEX
| 2006-10-04 16:23
| 伊那谷日記
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