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2013年 12月 05日
松村秀一さん(以下敬称略)は、建築形態的な意味の変容をコンバージョンという形で歐米の建築産業及び建築家たちが直面したストック化社会を分析する中で、その動向を把握していた。
しかし、もはやそれさえも我が国においては、戦後建築的視線の延長でしかないこと。またそうした形態的な意味と建築的な仕事がストック化の時代においては産業論的にも無化してしまうこと、その担い手たる者たちが、非建築分野におけるリノベーターやまちづくりプロデューサーたちであることを見てきた。 住宅に見るようにその工業化に邁進してきた時代的な意味と、既に喪失してしまった産業的な位置づけをどのように解として考えるべきなのか。このことを松村は、愚直に初源から問い始め、そして建築産業的思考から逃れることで新たなる建築産業を構想しようとしているように見える。 ついでに言えば、この松村の思考は、私たちには同期できる部分が多々ある。私たちは新築ゼロ棟時代においても地域に必要とされる工務店とは何か、を絶えず裏の課題として考えてきた。そこから工務店の家守り論は出発しているわけである。 松村の思考はこの11月、12月と続けて出された著作によって、その意図が我々に提示されはじめた。即ち「箱の産業 プレハブ住宅技術者たちの証言」(彰国社)に続き、「建築-新しい仕事のかたち 箱の産業から場の産業へ」(彰国社)の2冊である。 この2冊の著作は松村の言う「箱から場へ」論の対をなす著作とも受けとめられる。 私たちの言葉で言えば「往きの(住宅)建築」と「還りの(住宅)建築」である。 往きの建築とは、住宅が産業となってその量的な飛翔を果たしていく時期であり、松村の著作で言えば「箱の産業 プレハブ住宅技術者たちの証言」(彰国社)がまさに象徴的な時代であり、「箱の産業」が形成される過程のダイナミズムをプレハブ住宅の創成期を担った開発者たちへのインタヴューを通じて、それを検証している。いわば住宅産業が形成されるドキュメンタリーにもなっている。 初期プレハブ住宅を開発した男たちの矜持とその成長する時代と添い寝するための試行錯誤がよく分かる。そしてその役割的な自覚も。 ところが、積水ハウスの会長が書き記した「私の履歴書」は連載史上5指には入る無内容な文章(それにしても酷いもんですね。彼にとって別に住宅である必要はなかったことがよく分かりますね。この分野で目指したことは何だったんでしょうね。彼が経営トップの座に付いてからはほんと積水変わりましたもんね。あの阪神淡路大震災時に一面焼け野原と化した長田地区に立った時、中だけ燃え尽きたビルに「おかげさまで累積100万戸突破」と横断幕を掲げていたこの会社の感性を私は以来疑うようになった。もちろんこの会社だけではなく、いわゆる大手と呼ばれる営業マンたちのあの時の現場でのチラシでの誹謗中傷合戦には呆れたが)であった。 さて、多くの建築人が失ってしまったもの、それが構想力であり、ストック化への移行の中では必然だと松村は考えているように思われる。 そして、既に大凡新設着工戸数の8年から10年分程度住宅が余っている時代の中で、往きの構想力から還りの構想力が必要とされる時代を迎えはじめているのである。 それが今回の2冊目の著作「建築-新しい仕事のかたち 箱の産業から場の産業へ」の主題となってくる。 場の産業とは場と時間の関係性を構想することによって生まれくる多様な「仕事」の総体であり、ここに建築が還りの中で活き活きと展開すべき段階がある、と見ている。 つまり、往きの箱の産業で残されたストックを還りの場の産業では空間資源と位置づけることで、多様な新たなる職種が生まれてくる。 しかし、皮肉な話で往きの住宅産業を作り出した開発者たちの殆どが建築と無縁な場所から集まってきた人々であり、その人々が往きの産業的な成長を担い、そして還りの場もまた非建築的な人々が担っている。 なんという皮肉であろうか。建築家とは一体なんだったのだろうか、と思いつつも松村もまた、そこから何とか建築家を救い出そうとしているように見える。 とすれば、これをもまた如何に還りの建築という中で、捉え直すのか、そして建築という概念はそれに耐えるだけの構想を付与することができるのか、と松村は根源的な部分に垂線を降ろし始めている。 つまり、還りの建築はよりコトづくりがものづくりに先行するということだ。リノベーションとはまさにコトづくりなくしては「仕事」となりえない。これが還りの建築の「宿命」であり、仕組みと仕掛けということに私が興味を抱いている点でもある。 しかし、著者も触れているように、場(還りの建築)の領域は未だ漠とした状態にある。この中で従来の建築家の存在理由を変転させるような蠢動を松村は見ているように思えた。 工務店もまた「還り」の工務店としての存在を構想する時代を迎えている。 かなり荒っぽく読み急いだので、まだ、松村さんの問題意識を引き出したとは言えぬかもしれないが、SAREXでの松村さんの研究会にむけて、書いておくこととした。
by knobex
| 2013-12-05 16:35
| ワークショップで取り上げた本
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