日比谷線に乗っていて、ぼーっと中吊り広告を見ていると、佐野厄除大師の中吊り広告が今月下旬から目に付く。年の瀬を一際感じさせる広告であまりその記載されている内容を読んだことはなかった。
▲中吊り広告
もっぱら週刊誌などの中吊り広告に目がいっていて、厄除けの広告は「あー、師走かー」と思わせる一片の風景でしかなかった。
しかし、今朝電車の中で真ん前に佐野厄除大師の中吊りがある位置に立ったので、子細を読んだ。
すると、私は来年人生最後の後厄の年らしい。ということは2011年、つまり今年私は人生最後の本厄を迎えていたことになる。さらに2010年は人生最後の前厄であったことを知った。
そうか、今年は本厄だったのか、と何だか妙に合点がいった。
1月に母が逝去し、春からは草野球歴33年の中でついにというべきか、父のお相手を毎日曜日になったこともあるが、参加0試合という事態を迎えた。
しかも、股関節痛の古傷が再発したりした。
その前年の前厄の年は正体不明のフラフラ病にかかり、どの医者にも異常なしと言われつつも癒えず、フラフラしながら欧州に出かけ、ワインも飲めないまま(しかもワイン代は割り勘だから悲惨の極みである)旅を続け「帰れるのか俺」といった状態を過ごしていた。
それもこれも、なーんだ厄か。という訳の分からない「厄」というご指定が何だかスッキリと腹に納まり、やれやれ後厄の年を何とかつつがなく過ごせば、もはや厄というものが人生から消えるらしいので、ほっ、という感じになった。
ま、単純と言えば単純なのだが「厄」は身体、周辺の環境と関係の変化・解体を実感することなのかもしれない。なるほど運気というものがあるのだな、と思ったりした。
取り敢えず本厄の年が終わる。やれやれだ。
しかし、既に後厄の気配が見え始めている。今度は空間に関わる事象だ。しかし、これを後厄といって甘受するわけにもいかず、さてどうなるのかと中身はまだあかさず後厄の無事からんことを祈っているのである。
SAREX専務理事(㈱オプコード研究所所長)
野辺 公一