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2007年 02月 09日
年度末地獄へ突き進む
2月は、私のような稼業の者にとっては年度末に向けて殺気立つ季節だ。梅も咲き、桜を待つ気分がある一方で「まだ春にはなるなよ」という気持ちもある。 何せ年度末というのは、成果を形にしなくてはならない。その仕事に本来忙殺されていなければならないのだが、どうも今年は調子が上がらない。 しかも、頭の半分は来年度の仕込みを進めなくてはならない。いわば、おいしい料理を供するためにキッチンの前で調理をしているのに、明日の献立を考えているといった感じ。 それはSAREXにも当てはまることで、来年度事業計画の仕込みを今から進めないと、あっと言う間に総会に突入してしまう。そして、その両方が渾然となってしまうので、何がなにやら、という状況。 打ち合わせという飲み会 ということで、山辺豊彦さんとお会いして(山辺マニアの池田くんも誘って設計力鍛練塾の打ち合わせを行った。その全体的な骨子は、これから作るのだが、山辺さんにも全面的に協力してもらおう、というお願い。 ま、結局は飲みながら、今回の建築士制度改正の話が中心となり「工務店内設計者とはどうあるべきか、といった議論となる。 で、肝心のプログラムについては、酔いで朦朧となりつつ、山辺さんの言葉に触発されて思いついた内容を断片的にメモする、といった感じ。 さて、この材料をどう皆さんに献立表としてお出しするか、悩む。 現場監督鍛練塾については、長森さんと打ち合わせをして、私の中ではほぼ形になりつつあり、講師になってくれそうな人の顔を思い浮かべながら、練り込みを開始している。 こんなことをしていると、今、調理しなくてはならない年度末での成果づくりの地獄がどんどん拡大するんだよな、と思ってはいるのだが。 しかも、安易に(というか義務として)危機的工務店層に対する講演を引き受けたりしているものだから(これが、3時間×3日というシリーズ講演もあったりして)、そのパワーポイントづくりにも時間を取られる。新建ハウジングにもブログを書かなければならないのだが、これも編集者の催促のないことをいいことにさぼっている。マスター工務店の『住宅「考」房』の連載もバカが書けないで喘いでいる。 さらに「次回のワークショップはどうしよう」なんて考えていると、頭だけは忙しく、キーボードを打つ手は止まったまま、という状態。ああ、ボヤキが出てはおしまいか。 スタッフOB、20年以上振りの来訪 なんてぼやいていたら、如何なる縁に導かれたのか昨日、20年振りにスタッフOBと再会。田園調布見学だよー、と。 服部信子(旧姓)と幸野芳子(旧姓)。彼女たちと20年以上前の仕事の思い出話。昼を食べつつ、ハットリの海外生活の苦闘を聞いたりしつつ。さらに事務所に移動して思い出話は続く。これが全く失念していることばかり。 当時「全建連新聞」というのがあって、こいつが全く駄目な組合新聞で「何とかしてくれ」と当時の吉沢事務局長に依頼された。そこで、あの頃創刊されたばかりの、アメリカで初めての全国紙(インターネットの発達した今では想像もできないが)『USA Today』紙の名前をいただき、「工務店業界の今の姿、問題点をオールジャパンに発信する」というコンセプトの元『HOUSING TODAY全建連』と紙名も変えて、新創刊したのだった。もっとも、創刊号から1年程度(確か)で私の役割は終えさせられて、当初のコンセプトも質的な部分も関係なく、現在もその新聞は存在している。 その初期の立ち上げをハットリに手伝ってもらっていた(らしい)。で、私に電話で「ハットリ、ちょっと来い」と呼ばれると「お腹が痛くなりました」というのであった。「あの頃のノベさんは怖かった」というのである。えー、そうなのか。いやー、参った。 芳子は、私の奥さんのいとこで、芳子にはオプコード草創の頃、何かあると電話をして(当時、関連して別部門の会社があり、そこに芳子もハットリも在籍)掃除に来てもらったり、『群居』のワープロ版下の貼り込みを手伝ってもらったりしていたのだった。 うーん、思い出話に花が咲くようではいかんな、と思いつつ、しばし80年代を偲んだのであった。 さあ、年度末進行と来年度SAREX仕込みに本腰を入れねば。 SAREX専務理事(㈱オプコード研究所所長) 野辺 公一
by KNOBEX
| 2007-02-09 11:27
| 80年代を偲ぶ
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